昨日、Twitterでのつぶやき。
「自分なんて…」
と思うのは、鬱状態がひどい時に多く「自分なら…」
と思うのは、やる気に満ち溢れている時に多い。たった文字数2文字の違いで、こうも違うものかと驚かされます。#言葉の影響力 は、こういうことでもわかりますよね🤔
— 大雅双極@明かない闇はない (@taigasoukyoku) October 23, 2020
たった2文字の違いで、印象がガラリと変わってしまう言葉。
「自分なんて」と、「自分なら」。
どちらも自分を主観的に見ている言葉です。
しかし、受ける印象は、ほぼ対極にある。
たった、2文字違い。
されど、2文字違い。
言葉の影響力は良くも悪くも、私たちに影響を及ぼしています。
「なんて」が意味するもの
goo国語辞書では
● [副]驚いたり、あきれたり、感心したりする気持ちを表す。
例:「何てだらしないんだ」「何てすばらしい絵だ」
● [副助]ある事物を例示して、それを軽んじたり、婉曲(えんきょく)に言ったりする意を表す。
例:「手伝いなんてできるか」「本気にするなんてばかね」
とあります。
「自分なんて」は、後者の意味で使われることが多い言葉。
鬱状態がひどい時は、なおさら自分を卑下するのに拍車がかかる言葉でもあります。
知らず知らずのうちに他人と自分を比べて自分は劣っていると考え、自分で自分を見下してしまっている状態。
相手のことを持ち上げるために、言葉の綾的に自分を低く見せようとしているのならまだしも。
それが日常的になってしまい、自己洗脳状態になってしまっては厄介です。
「なら」が意味するもの
こちらも、goo国語辞書では
● [副助]体言に付く。話題となるものを取り上げて示す。・・・について言えば。
例:「母なら間もなく帰ると思います」
● [並助]いくつかの事例を並列して言うのに用いる。…といい、…といい。→なり[並助]
例:「姿なら面体なら、京のどなたの奥様にも誰が否とはいなば山」
とあります。
「自分なら」は、前者の意味で使われ、こちらも他人と自分を比べる時に使われる言葉。
「自分なんて」との違いは、どちらかというとポジティブ感がある印象にあります。
「自分なら、こう考える」
「自分なら、こうする」
など、他人と比べ、自分の意見や意思というものが感じられる言葉ですよね。
「自分なんて」が、ネガティブマインドとすると
「自分なら」は、ポジティブマインド。
こう、考えられるのです。
「自分」と「なんて」の位置替えで、ポジティブマインドのクセづくり
「自分なんて、○○だ」
誰もが考えたことはあるフレーズです。
例えば、「自分なんて、ちっぽけな存在だ」と考えたとしましょう。
これを「なんて自分は、ちっぽけな存在だ」に変えてみると、受ける意味合いが変わっていることに気がつきませんか?
「自分なんて、ちっぽけな存在だ」 ⇒ 断定
「なんて自分は、ちっぽけな存在だ(存在なんだ)」 ⇒ 気づき
「自分なんて」は、軽んじたり、婉曲したり、卑下したりします。
一方、「なんて自分(は)」にすると、驚き、あきれ、感心などの気持ちの表れ → 気づきとなります。
断定することと気づくことは、似てるようで違います。
その違いは、未来につながるかどうかの違い。
断定してその場で終わらせるか、気づいて未来につなげようとするか。
「自分」と「なんて」の位置替え。
ちょっとした言葉のニュアンス的な違いでも、鬱状態のひどい状態から抜け出すきっかけになるかもしれません。
言葉の影響力
言葉の影響力は、『言葉と思考』により成り立ちます。
鬱状態は言葉の影響力を受けている状態、言わば言葉の呪いを受けている状態といえます。
言葉が引き金となって、思考が決定づける。
これが言葉の影響力の正体です。
鬱状態の思考力は健康状態と比べ、正常ではないことの方が多くあります。
正常ではないものの、思考力はあるわけです。
ネガティブ思考力はピカイチなんですもん、鬱状態がひどい時って。
鬱状態がひどくて何も考えられないというのは、正しくもあり嘘でもあります。
ネガティブなことを考えすぎて、ポジティブなことを考えられないというのが正解。
ネガティブな呪いにとり憑かれ、なかなか抜けられない状態なんですよね。
ネガティブな言葉の影響力から逃れるためには、気づきとポジティブな言葉の影響力を積み上げていくしかありません。
ネガティブな呪いにかかってしまったのも、日々の積み重ねであるからです。
「こんな思考ではダメだ」ということに気づき、少しでもポジティブになれる言葉を上書きする。
そんなことをしても意味はあるのか?
そう思いたくなる気持ちは、わかります。
水面に水滴を一つ落とすと、どうなりますか?
水面に落ちたと同時に、波紋が広がっていきますよね。
一見、無駄に思える行為であっても、何かしら影響を与えているものです。
ネガティブ状態の水面に、一滴のポジティブな言葉を落とし続ける。
その継続が、ひどい鬱状態から逃れるきっかけとなります。
「小さなできた」に「ありがとう」で返す
「自分なんて…」につながるのは、できないことに対して。
「自分なら…」につながるのは、できることに対してが多くあります。
鬱状態の視点は、できないことに対する悲観や怒りが強く表れます。
それを積み重ねてしまっては、病気にもなりますよね。
当たり前のことなんですが、ネガティブなことを積み重ねてしまう病気でもあるのです。
SNSでネガティブなツイートをしている人の大半は、できないことに対する洗い出しを積み重ねている傾向があるように見受けられます。
自分自身ができなかったことや、外部要因の影響でできなかったことなどを洗い出して箇条書きにしたところで、それを見て反省するのでしょうか?
できなかった自分を、より一層ネガティブに陥れているように思えるのです。
視点を変える。
できないことに対して、あーだこーだと考えたところで、できないものはできないんです。
病気なので。
それであれば、ほんの些細なことでもいいので、できたことを考えましょう。
ホントに「小さなできた」でいいんです。
「昨日より5分、早起きできた」
「お風呂に入ることができた」
「食器を洗うことができた」
「テレビを見ることができた」
「トイレに起き上がるのが、スムーズにできた」
小さなできたことに対して見つめなおし、ありがとうで返す。
「昨日より5分、早起きできた。ありがとう」
「お風呂に入ることができた。ありがとう」
「食器を洗うことができた。ありがとう」
「テレビを見ることができた。ありがとう」
「トイレに起き上がるのが、スムーズにできた。ありがとう」
できたことに対して、いちいちありがとうで返すのは、最初しんどいかもしれません。
でも、ネガティブに引き込まれるのを食い止めてくれます。
新しい取り組みを行おうとすると、拒否反応を示します。
それは普通のことで、慣れてくると拒否反応はなくなってきます。
悪い習慣の慣れをやめ、良い習慣に慣れること。
そのための視点変換。
「小さなできた」の積み重ねが、鬱状態の改善には必要不可欠なんです。
まとめ:自分は自分でしか変えられない
自分を変えるのは、他人ではありません。
自分自身のみ。
自分を変えるためには、現状と同じことをやっていてはダメ。
できないことをクローズアップしても、余計に落ち込むだけ。
できたことをクローズアップし、自分自身に「ありがとう」と評価する。
できたことに対する自己評価をきちんとすることで、自己肯定感があがっていきます。
あなたは、怒られて伸びるタイプですか?
それとも、褒められて伸びるタイプですか?
大半の人は、褒められて伸びるタイプだと思います。
自分自身を守るには、「自分なんて」ではなく「自分なら」と考える。
自分ができたことを、自分自身で褒めて評価する。
褒めるのが気恥ずかしいのであれば、「ありがとう」の言葉がけだけで十分。
言葉の影響力。
活かすも活かさぬも自分次第。
「小さなできた」と「ありがとう」の積み重ねが、将来のあなたを大きく成長させてくれますよ。
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