1年12か月を2期で分けると、1~6月までと7~12月までに分けられます。
通常、上半期・下半期というと、会計年度での上半期4~9月、下半期10~3月を思い浮かべ、9月と3月に決算時期となりますよね。
カレンダーの暦上では、7月に入ると「1年も折り返しだなぁ~」という思いになります。
そんな1年の折り返しである7月。
実は私、TAIGAの誕生月でもあります。
7月に行われる年中行事について、Wikipediaで調べてみたところ、16もの年中行事(外国含む)があることがわかりました(2020年4月5日現在)。
今回、7月上旬(1日~10日まで)の年中行事として決まった6つの起源について、調べてみました。
七月初旬 氷室(北陸地方、特に石川県金沢市)
氷室とは、昔の天然冷蔵庫のこと
氷室(ひむろ)とは、氷や雪を貯蔵することで冷温貯蔵庫として機能する専用の施設のこと。
冷蔵庫が発明される以前は一般的な冷温施設で、現代においても
などを目的に、地域によっては利用され続けています。
昔は冷蔵庫など電化製品が存在しなかった時代。
今のように冷蔵庫に水のタンクを入れると勝手に氷ができる時代ではなく、いかに冬場にできた天然の氷を溶けないように保管するかが重要でした。
昔の日本では、洞窟や地面に掘った穴に茅葺などの小屋を建てて覆い、保冷したとされています。
涼しい山中などにある氷室の構造は、地下水の気化熱を小屋などの四方囲まれた建物内に閉じ込めることにより、外気より冷涼な気化熱で氷を夏まで保存することができます。
このように冬場にできた天然の氷を保管するしかない時代では、夏場の氷は大変貴重品でありました。
7月1日に食べる和菓子「氷室饅頭」
石川県金沢市で氷室というと、食べ物の「氷室饅頭」の方が有名かもしれませんね。
金沢市では7月1日に「氷室饅頭」という酒饅頭を食べる習慣があるのです。
藩政期の加賀藩では、冬季に雪と氷を氷室に貯めておき、夏に江戸の徳川将軍家に献上しておりました。
献上する際に、貴重な雪氷が江戸に無事届くようにと、祈りの意味で饅頭が供えられていたことが氷室饅頭の由来とされています。
その名残で、金沢市では雪氷を徳川将軍家に献上していた旧暦の6月朔日、現在の7月1日を「氷室の日」と呼び、氷室饅頭を食べる習慣へと変わっていきました。
ちなみに氷室饅頭の皮の色は、基本的に
の3色。
私自身この氷室饅頭のことを調べていて、わかったことがあります。
昔の職場で、高齢者の方がよく緑色を「青色」といっていて、「色覚異常なのかなぁ」とマジで悩んだことがあります。
昔の人は、緑を「あお」と呼んでいたのですね。
反省…
氷室饅頭の色の意味は諸説あるようですが、金沢市では
を表すという考えが定着しています。
7月1日 海開き
日本の本州では7月1日に行われることが多かった
日本の本州では7月1日に行われることが多かったため、7月1日を海開きとしておりますが、近年では梅雨の時期もあり、7月上旬から中旬に行われることが多くなっております。
毎年、海水浴場を開設することを海開きといいますが、海開き前には様々な準備が行われます。
【安全対策】
【利便施設の提供】
海水浴場として、安全で快適に楽しめるよう準備されてからようやく海開きとなるのですね。
なお、海開きの初日には、シーズン中の繁盛と安全を祈願し、神主などによる神事や安全祈願祭を行う海水浴場が多いです。
1月1日の元日に海開きするところも
小笠原諸島の父島では「日本一早い海びらき」として、1982年(昭和57年)から新年の元日に海開きを行っています。
また母島でも同様に元日に海開きを行っています。
しかし、水温はまだ冷たいらしく、ウエットスーツが必要とのこと。
海が好きな人は、新年に父島に行くのも良いですね。
7月1日 富士山山開き
山は昔から神聖な場所として、修行僧たちがご神体を拝むために登っておりました。
普段は一般の人がむやみに山に立ち入ることは許されておらず、一定期間のみ信仰行事として山に入ることが許されるようになったのが、山開きの起源とされています。
富士山は毎年7月1日が山開きとされていますが、ここ数年山梨県のルートは7月1日、静岡県のルートは7月10日という2パターンに分かれております。
閉山日は全ルート同日の9月10日。(2019年現在)
かつて、富士山の開山期間は7月1日から8月末までの2か月間とされてきましたが、世界遺産登録後の2014年以降から大きく変わり、昨年まではこのパターンで落ち着いております。
富士山の登山情報は
にて確認できます。
7月4日 独立記念日(アメリカ合衆国)
アメリカ合衆国市民にとって最大の祝祭日
1776年の7月4日。
アメリカ合衆国がイギリスからの独立を宣言した「アメリカ独立宣言」が採択された日。
アメリカでは、毎年7月4日盛大に祝われます。
首都ワシントンでは、毎年30万人以上の観客を動員する「The National Independence Day Parade(ナショナル・インディペンデンス・デイ・パレード)」が有名です。
ニューヨークに代表される大規模な花火イベントも行われるのは、この日。
また各地では
が行われます。
7月4日 独立記念日に起きる事件
盛大に行われる祝事の裏では、人々が一か所に大勢集まることにより、悲しい事件が起きることも。
7月7日 七夕
七夕は、元々日本にはなかった
七夕というと、連想されるのが
ではないでしょうか?
実は、七夕の行事は、奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものでした。
彦星と織姫の伝説
中国の「七夕伝説」が彦星と織姫の伝説の由来となっております。
彦星は別名「牽牛(けんぎゅう)」と呼ばれ、牛が稲を引っ張る姿がイメージされることから「稲作」を象徴しています。
織姫は別名「織女(しゅくじょ)」と呼ばれ、布を織る「織物」を象徴しています。
昔の人々にとって「稲作」と「織物」は生活するのになくてはならない仕事でありましたが、二人が出会って恋に溺れ、大切な仕事をしなくなったことから神様が怒り、二人を天の川の対岸へと引き離しました。
1年に1度、7月7日だけ会えるようにしたといわれているのが「七夕伝説」であり、彦星と織姫伝説の由来となっております。
短冊に願いを書く
また、中国のお祭り「乞巧奠(きつこうでん)」が短冊の起源とされています。
このお祭りは、女性の技芸(織物や書、笛など)の上達を祈るために行われ、技芸の上達を願って梶の葉に歌を書いた習わしから来ており、笹に短冊を吊るすのは、江戸時代の庶民に広まった日本特有の文化とされています。
また、七夕に笹を用いる理由は、魔除け・抗菌効果・健康長寿祈願といった理由があります。
お菓子をもらいに行く
北海道の人の風習である「ローソクもらい」。
これが現在では、お菓子をもらいに各家庭を訪れる習慣になりました。
「竹に短冊七夕まつり 大いに祝おう ローソク一本ちょうだいな」
地域によって歌詞が違いますが、道南の函館方面では7月7日に、このような歌を歌いながら各家庭を回ってお菓子をもらいにいく子どもたちの姿が見られます。
簡単にいうと、昔から伝わる日本版ハロウィンですね。
なぜ歌では「ローソク一本ちょうだいな」と歌っているのに、ローソクではなく、お菓子をもらうことになったのでしょうか?
諸説あるようですが「ローソクもらい」の由来は、北海道に移住してきた青森県の人たちが、ねぶた祭りの風習を持ち込んだことからとされています。
実は昔、青森県ばかりでなく、北海道の道南でもねぶたが引かれていました。
江戸時代後期の平尾魯仙の「松前紀行」には、函館で七夕の日にねぶたが引かれていたと記されております。
その時代、子どもがねぶたに灯すろうそくを集める習慣がありました。
現代の歌を歌いながら、近所の家庭を回ってろうそくやお菓子をもらう習慣は、この名残です。
しかし、ろうそくをくれる家庭は年々と少なくなり「ろうそくもらい」から「お菓子をもらいに行く」ことに変わりました。
通常、ろうそくやお菓子は袋の中に一緒に入れられており、各家庭で歌を歌ったら暗黙の了解で袋をいただけることになっていました。
袋の中には、小銭を入れる家庭やおもちゃを入れる家庭も出てきて、一時期、お菓子の取り合いや金銭・おもちゃを争う子どもが出現し、子どもに悪影響を及ぼすとして賛否が分かれました。
最近は路地に子どもたちの歌声が響く「地域文化」として、次世代に伝えたいと保存の傾向が強まっています。
ただ、昔は各家庭だったものが、今現在では「玄関先に笹を飾っている家庭」にしか、お菓子をもらいに行くことが出来なくなったり、金銭はもらわないようにと小学校の先生から言われたりと、お菓子を配る家庭の規模は昔よりも縮小しております。
七夕は元々、先祖供養のための盆行事だった
七夕は「七」の日の「夕」と書き、7月7日の夜のことをさし、本来ご先祖様を供養する盆行事でした。
一般的には、新暦の7月7日の行事として七夕は知られておりますが、「仙台七夕まつり」など七夕に関するお祭りは、8月に開催されることが多いです。
これは、本来の七夕が旧暦の7月7日であり、新暦では8月のお盆前後にあたることが多く、七夕が盆の時期の行事であったことがわかります。
7月7日 ポニーテールの日
ポニーテールとは、長い髪を後頭部の高い位置で髪ゴム等で一つにまとめて垂らした髪型をいいます。
小型の馬ポニー(pony)のしっぽ(tail)が語源です。
ポニーテールの日を定めたのは、日本ポニーテール協会
7月7日で有名なのは「七夕」ですが、実は変わった記念日が多いのです。
ほんと、多いですね。
「ポニーテールの日」は、1995年に日本ポニーテール協会が1995年に7月7日が「七夕」や「ゆかたの日」であり、ポニーテールが浴衣に似合うことなどから制定しました。
ちなみに「ゆかたの日」は、1981年に日本ゆかた連合会が「七夕の日、女の子は色のついた糸を結び、7本の針と瓜を供え、裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していた」という中国の故事にちなんで、制定しました。
残念ながら、日本ポニーテール協会のHP・SNSは、2015年4月をもって運営終了しております。
日本ポニーテール協会活動中は、ポニーテール人気の理由、歴史、文化的価値の考察と21世紀にポニーテールを流行させることを目的として活動しておりました。
また、毎年日本一ポニーテールが似合う有名人に「日本ポニーテール大賞」を贈っていました。
過去の受賞者には
がいます。
涼宮ハルヒに至っては、実在する人物ではなく、アニメキャラです(笑)
もし、日本ポニーテール協会が存続していたら、最近の日本ポニーテール大賞が誰になったのか興味がありますね。
7月7日の七夕以外の記念日は、今回調べてみて初めて知りました。
ラッキー7にあやかろうという気持ちもあるんでしょうね。
次回は、7月中旬(11日~20日まで)の年中行事の起源についてご紹介します。
お楽しみに~♪
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